長良川市民学習会の会報に掲載されました。
2009-03-18
2009年2月7日 「長良川に徳山ダムの水はいらない」 第5回学習会講演要旨亀尾島川に内ヶ谷ダムはいらない 長良川水系・水を守る会
郡上市大和町内ヶ谷は亀尾島川上流の地名で昭和40年代に集団離村し廃村となった。ここに岐阜県は治水を目的にダムを計画し1989年から取付道路工事が始まり、現在ダム予定地まで進めている。本体着工は数年先だが生コン工場建設、土砂の捨て場の工事も計画され内ヶ谷の自然は大きく壊されている。
八幡町から長良川を渡りトンネルをぬけると亀尾島川に出る。橋からは田口砂防ダムが見える。この堰堤がサツキマスの遡上止めになる。吉田川に比べると遡上止めが下流部になってしまうが、亀尾島川はここから内ヶ谷にある治山用の砂防ダムまで工作物(現在ダム工事中だが)は何も無い。吉田川や長良川本上流のように砂防ダムの連続した区間は無く、上流部では渓流魚が移動できる。
道を奥に進むと荒倉の集落で、これより上流には誰も住んでいない。この先は未舗装の道になり落石の石をよけながら慎重に進む。途中に廃墟の3階建ての建物が山の中に突然現れる。初めて見る人は、驚くだろう。林業の会社があったそうだ。オバーハングした岩を通り過ぎると、道には落石が多くなり更に道は悪くなる。川は垂直の崖下を流れ、降りる場所は無く、支流の白谷は滝で合流している。釣りをするならばこの辺りが亀尾島川ではベストだろう。白谷からモチ谷まで降りる所は少なくヒルやマムシ、増水の危険はあるが、渓相がよく尺アマゴもいる。
落石が少なくなり杉林に入ると道は山に向かうので、ここで車を降りる。川沿いの道が昔はあったが今は荒れて橋も無く草だらけである。支流のモチ谷を渡る。雪害木の杉林の中に廃墟の家が突然現れ、旧八幡町最奥の明原の集落。ケモノ道になる所で川に降りる。楽に降りれるが、目印は崖に引っかかっている車。昔はここまで車が通れたことに驚く。上流に進み小さな岩場に着くと、吊り橋の跡がある。川沿いに続く道の跡だ。地図には左岸側に下山の地名があるが川から離れている。この辺りから上流を内ヶ谷と呼んでいる。ネギ谷の出合で休憩。河原があって休憩にはもってこいの場所である。対岸には孟宗竹の林があり、人の暮らしがあった事がうかがえる。ネギ谷を過ぎると落差のないダラダラとした流れが源流まで続く。川岸の杉林で山菜のコゴミを収穫する。対岸はダム取付道路の工事現場。下流に向かっていた道路が大きくヘアピンしダムサイトに向きを直す所で、山の斜面は大きく削られ、支流の流れはU字工に変わっていた。
ダム直下の野生のワサビを収穫。工事が進むとコンクリートの中になるかもしれない。ダム予定地はダラダラした流れの内ヶ谷でただ一カ所川通しできない所で、両岸は切り立った岩盤になっている。腰まで水につかり、ダム予定地の岩盤を登る。昔の道は岩盤を削って造られており、道祖神が祀られている。道祖神には弘化三年(1846年)とあり江戸時代末期に造られたらしい。危険な所なので安全を祈願したのだろう。
予定地の岩盤を抜けるとそこは広い河原になっており気持ちのいい所で昼食にちょうどよい。ここから上会津の集落跡までは岩も大きくなりアマゴもよく釣れる。上会津は集団離村まで小学校があった集落である。左岸の平坦地にダム本体用の生コン工場を造るそうだ。既に樹木は伐採されている。左岸側は工事用道路が完成し、右岸には林道の付け替え工事が進んでいる。道路工事中はたくさんの土砂が川に流れ込み淵は埋まり浅くなった。右岸林道は2002年に道上部の山腹から地滑りを起こし、谷底に溜まった土砂が増水で流され下流の淵が埋まった。
上会津の集落跡は水に沈み上流の工事用のゲートの少し下流までダム湖となる。
道を奥に進むと荒倉の集落で、これより上流には誰も住んでいない。この先は未舗装の道になり落石の石をよけながら慎重に進む。途中に廃墟の3階建ての建物が山の中に突然現れる。初めて見る人は、驚くだろう。林業の会社があったそうだ。オバーハングした岩を通り過ぎると、道には落石が多くなり更に道は悪くなる。川は垂直の崖下を流れ、降りる場所は無く、支流の白谷は滝で合流している。釣りをするならばこの辺りが亀尾島川ではベストだろう。白谷からモチ谷まで降りる所は少なくヒルやマムシ、増水の危険はあるが、渓相がよく尺アマゴもいる。
落石が少なくなり杉林に入ると道は山に向かうので、ここで車を降りる。川沿いの道が昔はあったが今は荒れて橋も無く草だらけである。支流のモチ谷を渡る。雪害木の杉林の中に廃墟の家が突然現れ、旧八幡町最奥の明原の集落。ケモノ道になる所で川に降りる。楽に降りれるが、目印は崖に引っかかっている車。昔はここまで車が通れたことに驚く。上流に進み小さな岩場に着くと、吊り橋の跡がある。川沿いに続く道の跡だ。地図には左岸側に下山の地名があるが川から離れている。この辺りから上流を内ヶ谷と呼んでいる。ネギ谷の出合で休憩。河原があって休憩にはもってこいの場所である。対岸には孟宗竹の林があり、人の暮らしがあった事がうかがえる。ネギ谷を過ぎると落差のないダラダラとした流れが源流まで続く。川岸の杉林で山菜のコゴミを収穫する。対岸はダム取付道路の工事現場。下流に向かっていた道路が大きくヘアピンしダムサイトに向きを直す所で、山の斜面は大きく削られ、支流の流れはU字工に変わっていた。
ダム直下の野生のワサビを収穫。工事が進むとコンクリートの中になるかもしれない。ダム予定地はダラダラした流れの内ヶ谷でただ一カ所川通しできない所で、両岸は切り立った岩盤になっている。腰まで水につかり、ダム予定地の岩盤を登る。昔の道は岩盤を削って造られており、道祖神が祀られている。道祖神には弘化三年(1846年)とあり江戸時代末期に造られたらしい。危険な所なので安全を祈願したのだろう。
予定地の岩盤を抜けるとそこは広い河原になっており気持ちのいい所で昼食にちょうどよい。ここから上会津の集落跡までは岩も大きくなりアマゴもよく釣れる。上会津は集団離村まで小学校があった集落である。左岸の平坦地にダム本体用の生コン工場を造るそうだ。既に樹木は伐採されている。左岸側は工事用道路が完成し、右岸には林道の付け替え工事が進んでいる。道路工事中はたくさんの土砂が川に流れ込み淵は埋まり浅くなった。右岸林道は2002年に道上部の山腹から地滑りを起こし、谷底に溜まった土砂が増水で流され下流の淵が埋まった。
上会津の集落跡は水に沈み上流の工事用のゲートの少し下流までダム湖となる。